今日は長崎出島築造開始日
今日は、寛永11年(1634年)に、幕府が、長崎に、扇状の人工島の「出島」築造を開始した日だ。築造終了は、2年後の寛永13年だった。
築造の目的は、当時、来日していたポルトガル人を管理するための隔離施設だった。やがて、ポルトガル人が追放されると、平戸から、オランダ人が入ってきた。
爾後、約200年、オランダ人の使用が続き、オランダ貿易も盛んになった。しかし、出島は、現存しない。あるのは、15分の1の大きさの「ミニ出島」が展示されているだけだ。
鎖国時代に、出島があったからこそ、「葦の髄から天井覘く」程度の、狭く、限られた情報であっても、世界とは、ちゃんと、繋がっていたのだ。
特に、蘭学にもとずく、合理的なものの考え方や、自由・平等の思想が、幕末の日本に、大きな影響を与えたのだ。
余談だが、最近、
金平糖を、きんぴら糖と読む世代が増えたとか。金平糖は、日本にきたポルトガル人が、菓子を「コンフェイト」と言ったことから、金平糖に転化した、ものと言われている。
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