2006年12月14日
義士祭
赤穂浪士については、沢山の情報が溢れている。が、大石内蔵助が「にら雑炊」を毎日のように食べていたことは、あまり知られていない。
話が変わり、浅野内匠頭の辞世が「風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」で、異論は無い。
大石内蔵助の辞世は、一般には、つぎの句とされている。
「あら楽し 思いは晴るゝ 身はすつる 浮世の月に かかる雲なし」
しかし、「介石記」「江赤見聞記」「義人遺草」によると、次の句が本当の辞世といわれているようだ。
「あら楽や 思いは晴るゝ 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
更には、上記二首は、何れも内匠頭の墓に捧げた句で、実際には、次の句が、本当の辞世だとする説がある。
「極楽の 道は一筋 君と共に 阿弥陀をそえて 四十八人」
追って、大石が主君の墓前の為の辞世とした句の中の「浮世の月」は、「浮世の尽き」を掛けたものと理解されている。
話が変わり、浅野内匠頭の辞世が「風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」で、異論は無い。
大石内蔵助の辞世は、一般には、つぎの句とされている。
「あら楽し 思いは晴るゝ 身はすつる 浮世の月に かかる雲なし」
しかし、「介石記」「江赤見聞記」「義人遺草」によると、次の句が本当の辞世といわれているようだ。
「あら楽や 思いは晴るゝ 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
更には、上記二首は、何れも内匠頭の墓に捧げた句で、実際には、次の句が、本当の辞世だとする説がある。
「極楽の 道は一筋 君と共に 阿弥陀をそえて 四十八人」
追って、大石が主君の墓前の為の辞世とした句の中の「浮世の月」は、「浮世の尽き」を掛けたものと理解されている。
Posted by 無陀仏 at 13:42│Comments(0)
│日記 エッセイ