2007年03月29日
お葬式
故人の好きだったバロック音楽を流す等、荘厳は質素だが、進行の細部まで気を遣い無宗教で行われた、知人の葬儀に、昨日参列した。とても、爽やかだった。参考にしたい。
昨今の葬儀は、鎌倉時代に、互助の精神から出発した遺体葬を忘れ、きらびやかな荘厳を飾り、故人に院号を冠するなど、死者と遺族の社会的ステータスを、目視的に誇示する行事になっているようだ。
私の葬儀は、まず、家族だけの密葬後、死者が六道を選ぶ日とされている35日頃、生前の恩返しを籠めて、骨葬を行って欲しいと思っている。参列者からの金品の受取は、無論、ご辞退したい。
10年後には、密葬が、社会通念になっていれば良いと思っている。兎も角、将来必要となる骨葬の費用だけは、手をつけずに残して置かなければ。
ピンクの文字列はハイパーリンク。
昨今の葬儀は、鎌倉時代に、互助の精神から出発した遺体葬を忘れ、きらびやかな荘厳を飾り、故人に院号を冠するなど、死者と遺族の社会的ステータスを、目視的に誇示する行事になっているようだ。
私の葬儀は、まず、家族だけの密葬後、死者が六道を選ぶ日とされている35日頃、生前の恩返しを籠めて、骨葬を行って欲しいと思っている。参列者からの金品の受取は、無論、ご辞退したい。
10年後には、密葬が、社会通念になっていれば良いと思っている。兎も角、将来必要となる骨葬の費用だけは、手をつけずに残して置かなければ。
ピンクの文字列はハイパーリンク。
Posted by 無陀仏 at 14:33│Comments(0)
│日記 エッセイ