2007年06月06日
踊 り

踊りって、言葉で表現できない「喜」「怒」「哀」「楽」や「願」を、身体の動作で相手に伝える言葉、所謂、ボデイ・ランゲージなのでしょう。
利息の二重取りを「踊る」と言うのは、借り手が、己の地位の弱さを「哀しみ」、貸し手の横暴を「怒って」身体を震わすからなのかな。これは、ちょっと、こじつけですね。
また、天理教や天照皇大神宮教(通称、踊る宗教)は、人が、神と一体になりたいと言う「願望」のため、踊りを行う宗教だ。念仏踊りから進化した盆踊りは、収穫の「楽しみ」と翌年の良好な天候への「願望」の踊りでしょうか。さらに、お百度参りは、「願望」と「愛情」に基づいた動作で、丑の刻参りは、「願望」と「怒り」から発した行動でしょう。
今夜から、札幌で始まるYOSAKOIソーラン祭りは、連に対する踊り手の貢献と言う自己満足・自己実現の「楽しみ」と、連がより上位にランク付けされる「願望」達成の「喜び」が、参加するエネルギーになっているのでしよう。
あまりにも専門化・商業化し、一般人は輪踊りだけにしか参加できなくなったYOSAKOIソーラン祭りだが、期間中の踊りは、楽しく、賑やかに、事なく、進め、所期の目的を達して下さい。
Posted by 無陀仏 at 14:38│Comments(1)
│日記 エッセイ
この記事へのコメント
おきな草様
おもしろい塑像ですね。
踊る。
「心が躍る」と漢字は違いますが、同じ「おどる」という言葉ですね。
心の吐露であり、身体の躍動でもあります。
「おどらされる」というと、何かにまどわされて正気を失うことになります。
願わくば、踊らされることなく、踊りたいものです。
冬野
おもしろい塑像ですね。
踊る。
「心が躍る」と漢字は違いますが、同じ「おどる」という言葉ですね。
心の吐露であり、身体の躍動でもあります。
「おどらされる」というと、何かにまどわされて正気を失うことになります。
願わくば、踊らされることなく、踊りたいものです。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年06月08日 23:32