2007年06月29日
東京招魂社(靖国神社)
明治2年(1869年)の6月29日、戊辰戦争の死者を祀るため、靖国神社の前身である、東京招魂社が創建された。併せて、安政の大獄や桜田門外の変で斃れた志士の魂を祀るため、文久2年(1862年)に京都の祇園社に設けられた招魂社を合併し継承した。
明治12年に、国家への忠誠心を固めるためには、魂を招くだけの施設ではなく、中国の古典から「吾れ以て国を靖(安=やす)める也」を採り、明治天皇の命令で、「靖国神社」と改称した。
だから、靖国神社の紋は、天皇家にゆかりのある「蔭十六菊」が用いられているようだ。昭和天皇が、A級戦犯の、靖国神社への合祀に不快感を表したのも、下世話に考えると、徳川ゆかりの宮司が、天皇家が創建した施設の運営を、勝手に行ったからかな。とも、考えられる。
また、昨年の7月には、昭和36年以降、遊就館に展示された、B・C級戦犯の遺書や顔写真の収集を、厚生労働省が、遺族に依頼したことが判明し、物議を醸した。
戦争体験者である私は、国が建てた千鳥が淵戦没者墓苑を拡充し、象徴的な遺骨の保管場所とすることが望ましいと思う。宗教法人である靖国神社は、本人または遺族の遺志を忖度して後、了承した者のみ、合祀を行うのが当然だ。
なお、靖国神社では、シベリア等で死亡した者も、戦没者として合祀されているが、A・B・C級戦犯は、「昭和殉難者」として祀っている。また、昭和20年以降の陸・海・空の自衛官・政府職員等で、PKO等の派遣により死亡した者は祀っていないようだ。
Posted by 無陀仏 at 14:47│Comments(0)
│日記 エッセイ