2007年09月20日
大友亀太郎の立像

明治政府が開拓使をおく前から、幕命によって、旧札幌村の開拓を手がけた人物だ。因みに、旧札幌村は、札幌市の北東部に位置し、今の東区に該当する。
彼は、旧札幌村の元村地区発展のため、農業用水路として大友掘を築造した。が、大友堀は今はない。札幌市を南北に縦断する創成川は、大友堀を参考とし、これに、連ねて造られたものだ。
大友は、二宮尊徳門下で、旧相模の国出身でもあった。明治政府の初期、政府職員となったが、開拓方針で意見が合わず、故郷の小田原市に戻った。
Posted by 無陀仏 at 13:29│Comments(0)
│日記 エッセイ