2008年08月09日
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

史実によると 当日の 第一投下目標であった 小倉市の 爆撃に 3回失敗し 已む無く 第二目標の長崎に 投下されたものだった。
広島型の 1.5倍の威力を持つ ファットマンだったが 幸いにも 爆心地が 長崎の市街地から 離れていたことと 周囲に山があったことで 爆風や 熱線の拡散を 防ぐことが出来たので 被害が 予想より 小さかった と聞いている。 本当に 良かった。
長崎市民の お叱りと 誤解とを 恐れず 敢えて 言わせて頂くと もし 平坦地の小倉市に 投下されていたら 今の 北九州市の ほとんど全域と 山口県下関市までも 破壊されるほど 被害が 大きかった であろうと 言われている。
医者であり 被爆者でもある 故永井隆さんの 「この子を残して」と言う 随筆に 涙したのは もう 古い昔に なった。 「光りつつ 秋空高く 消えにけり」永井隆。 なお 隆さんの奥さんは 翌10日に 自宅で ほぼ 骨だけになった遺体で 発見されている。 今日の 祈念式典で 長崎市長が 引用した 故永井隆さんの随筆「長崎の鐘」は 昭和21年8月に 出版を予定していたが GHQの許可がおりず GHQの記録集である「マニラの悲劇」との 合本で 3年後の 昭和24年1月に やっと 刊行された。 酷い 話だ。
無辜の市民を 一瞬にして 殺戮する 非人間的な 原爆は 造ることも 持つことも 使用することも 禁止 すべきと 子や 孫に 語り継ぎましょう。 現在 核保有国が持っている と言われている 2万6千発余の 原爆は 世界の 監視のもとに 確実に 廃棄されるよう 大きな声を 上げましょう。
Posted by 無陀仏 at 16:00│Comments(0)
│日記 エッセイ