さぽろぐ

日記・一般  |札幌市東区

ログインヘルプ


2008年09月04日

 枯死寸前

 枯死寸前鉢植えの 温州みかん。 今年の初めには 十数個の実をつけて呉れた。 常緑樹なのに 今は 黄味が多い葉が6枚ほどで 枯死寸前だ。 葉が4・50枚しかなく 実はせいぜい3個位が適当なのに 虐待をしたからなのでしょうか。

なんとか 蘇生させたいと 管理しているが 家内を含む身内は もう 諦めなさい と 苦言を呈している。 でも 救えるものなら 今日の 空のように なって呉れれば と 縋るような 思いで 養生している。

分子生物学で言う 生は 受精に始まり 死は 個体の最後の細胞が 機能を失った時に 終わるとしている。 だから まだ 枯死していない と 言うのが 私の主張だ。 機能的には 半ば諦めているのですが 意地になっているのでしょう。

翻って 人間の生・死には 様々な とらえ方があるようだ。 分子生物学的に 考えるのは 仏教であり キリスト教でもある。 つまり 受胎を 生の始まりとする文化だ。

医学の先端では 唯脳主義に基ずき 生は 受胎後数週間後に始まる 脳の形成を始期とし 死は 脳の機能停止を持って 終りとする。 だから 受胎後 脳が出来るまでは 人ではないから 実験に供することは 差支えない と 言う意見もある。 また 死は 当然に脳死主義となる。

法律では 頭部の露出を以て 出生(人格の取得)とし 心臓の停止を持って 死としている 所謂 心臓停止主義だ。 それでも 遺体の処理は 24時間後に と 慎重に規定している。 相続については 胎児も 出生者として 相続権を 認めている。
 
一般には 心臓の停止に加え 体温の放出を以て 死と認識しているようだ。 生まれと 死との 定義は 中々 難しいものですね。 余計なことを 申し上げて ご免なさい。

鉢植えの 温州みかんが 奇跡的に 蘇って欲しいと 近頃は 祈りの 毎日を 過ごしている。

 枯死寸前


あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(日記 エッセイ)の記事画像
 しそちりめん
 介護付き有料老人ホーム
 桜の香りの串だんご
 何の取材なの
 定期検査
 居酒屋の飾窓
同じカテゴリー(日記 エッセイ)の記事
  また 引っ越しました (2012-04-08 15:00)
  お家騒動 (2012-04-07 16:00)
  しそちりめん (2012-04-06 16:00)
  介護付き有料老人ホーム (2012-04-05 16:00)
  桜の香りの串だんご (2012-04-04 16:00)
  何の取材なの (2012-04-03 16:00)

Posted by 無陀仏   at 16:00│Comments(0)日記 エッセイ
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
 枯死寸前
    コメント(0)