2009年01月24日
とげぬき地蔵祭り

我々が 一般に地蔵さんと呼ぶ菩薩は 六体の地蔵菩薩で 釈迦が死んでから56億7千万年後に 弥勒菩薩が現れるまでの間 六道《(檀陀地蔵・地獄)(宝珠地蔵・餓鬼)(宝印地蔵・畜生)(持地地蔵・修羅)(徐蓋障地蔵・人間)(日光地蔵・天)》の各界まで赴き そこにいるものを救済すると言う 「地蔵菩薩本願経」に 載っている菩薩だ。
私も 一度 巣鴨参りをしたいと思っているが 当分は無理だ。 聞くところによると 巣鴨にお参りする お年寄りは 赤信号でも 悠々と横断するとかで ドライバーを 泣かせる人も 多いそうだ。
Posted by 無陀仏 at 16:00│Comments(2)
│日記 エッセイ
この記事へのコメント
おきな草様
「棘ぬき=罪(とが)ぬき」でしたか。
またひとつ、学ばせていただきました。
巣鴨あたりは、ときおり車で通ると、やはり混み合ってますね。巣鴨方面への分岐のところは、ちょっと危ないときもあります。
そうそう、私は6歳まで西巣鴨に暮らしていたのでした。その当時は、巣鴨も今みたいな世代に集中した混みようではなかったように思います。
それにしても、人が「罪(とが)」を抜きたくなるのは、内省をぞんぶんに積み重ねてからなのかもしれませんね。
冬野
「棘ぬき=罪(とが)ぬき」でしたか。
またひとつ、学ばせていただきました。
巣鴨あたりは、ときおり車で通ると、やはり混み合ってますね。巣鴨方面への分岐のところは、ちょっと危ないときもあります。
そうそう、私は6歳まで西巣鴨に暮らしていたのでした。その当時は、巣鴨も今みたいな世代に集中した混みようではなかったように思います。
それにしても、人が「罪(とが)」を抜きたくなるのは、内省をぞんぶんに積み重ねてからなのかもしれませんね。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2009年01月25日 09:45
冬野 由紀 様
おきな草 から
児童の頃 の 西巣鴨は もう 都営地下鉄 三田線がはしり 西巣鴨駅が 出来た頃でしょうか。 確か 昭和43年頃に 開通と 承知していました。
私が とげぬき地蔵に お参りしたいのは 無数にある 心の棘を 少しでも丸く 小さくしたいと 思うからです。
凡夫・無明の身ですから 心の棘を すべて 抜くことは 到底 出来ないと 思っています。
おきな草 から
児童の頃 の 西巣鴨は もう 都営地下鉄 三田線がはしり 西巣鴨駅が 出来た頃でしょうか。 確か 昭和43年頃に 開通と 承知していました。
私が とげぬき地蔵に お参りしたいのは 無数にある 心の棘を 少しでも丸く 小さくしたいと 思うからです。
凡夫・無明の身ですから 心の棘を すべて 抜くことは 到底 出来ないと 思っています。
Posted by おきな草 at 2009年01月25日 14:05