2009年01月27日
青函隧道
今日は 今でも 世界一長いトンネルの 青函隧道(せいかんずいどう=通称:青函トンネル)の 先進坑道が 昭和48年(1983年)貫通した日である。 トンネルの所有者は JR北海道である。
昭和25年頃から 津軽海峡に 朝鮮戦争によると思われる 機雷が浮遊したのに加え 昭和29年(1954年)の 洞爺丸台風により生じた 連絡船の事故を 契機として 着手されたものだ。
新幹線規格で 作られた 全長53.85Kmの トンネルの 総工費は 完成まで約9千億円を要した。 得られる経済効果との比較で 昭和の三大馬鹿査定の 一つと言われる所以でもあった。
昭和の三大馬鹿査定とは 昭和52年に 旧大蔵省主計官の田谷廣明さんが 言ったとか。 なのに JR北海道の意見を無視して また 札幌まで新幹線を延伸させるべく 無駄な予算を計上し JR北海道の経営赤字化を 促進させている。 つまり 旧国鉄は 実質的に まだ 民営化されていないのだ。
因みに 他の二つは 戦闘にあまり参加せずに 領海内で沈み「やまとホテル」と揶揄された「戦艦大和」と 今は 迷惑施設が多く建てられている 「伊勢湾干拓事業」と 言われている。
蛇足だが 水底部分の長さが 世界一のトンネルは フランスとイギリスの間の 英仏トンネルだ。 なお 日本の水底トンネルは このURLhttp://uub.jp/nam/suiteitunnel.htmlを 参照されたい。
Posted by 無陀仏 at 16:00│Comments(2)
│日記 エッセイ
この記事へのコメント
青函トンネルはもう26年前に開通していたのですね。
私は真っ暗な中北海道につく青函トンネルより青函連絡船のほ好きでした。
初めて旅で北海道に渡った三十ン年前、帰路の夜の連絡船で見た夜光虫のイメージが強いのです。
移住先を求めて初めての冬の北海道に渡ってきたのも青函フェリーでした。
函館に係留されている「摩周丸」の船内で、以前高級航海士だったと思われる係員の方にとっ捕まり、あれこれ教えていただけました。
その時はわずらわしかったのですが、今になると懐かしい良い思いでです。
北海道新幹線が開通したら、ますます函館は寂れてしまうと思うのは私だけでしょうか。
私は真っ暗な中北海道につく青函トンネルより青函連絡船のほ好きでした。
初めて旅で北海道に渡った三十ン年前、帰路の夜の連絡船で見た夜光虫のイメージが強いのです。
移住先を求めて初めての冬の北海道に渡ってきたのも青函フェリーでした。
函館に係留されている「摩周丸」の船内で、以前高級航海士だったと思われる係員の方にとっ捕まり、あれこれ教えていただけました。
その時はわずらわしかったのですが、今になると懐かしい良い思いでです。
北海道新幹線が開通したら、ますます函館は寂れてしまうと思うのは私だけでしょうか。
Posted by Yulico at 2009年01月28日 22:10
yulico 様
おきな草 から
30年与前に ご覧になった夜光虫は 秋口から初冬であれば 烏賊釣りの漁火では 無かったのでは。
私は 10代と 20代とに それぞれ1回 連絡船に乗りました。 出港のドラの音と 腹に響く汽笛の 音とは 今でも 耳に残っております。
函館は 人情の町です。 「ぜひ いってけせ」
おきな草 から
30年与前に ご覧になった夜光虫は 秋口から初冬であれば 烏賊釣りの漁火では 無かったのでは。
私は 10代と 20代とに それぞれ1回 連絡船に乗りました。 出港のドラの音と 腹に響く汽笛の 音とは 今でも 耳に残っております。
函館は 人情の町です。 「ぜひ いってけせ」
Posted by おきな草 at 2009年01月29日 16:12