2009年07月31日
我が左手

今日の昼寝の時 挙げた左手を ふと 見て その皺の多さに 吃驚した。 早速 携帯デジカメで 写してみた。
啄木は ワーキング・プアーを 悲しみ嘆いて 短歌を 創った。 私は 身体的衰えを 痛感して 啄木に倣い 和歌を 詠んだ が。
「あらたまの 八十路(やそじ)こそ越え 和が腕は 安心立命(あんじんりゅうみょう) 尚(なお) 掴めざれ」と 言う 煩悩の句(苦)になった。
昔は 鉄棒での ぶらさがりや 懸垂(けんすい)なども 他者よりは優れていたと 思っていた。
今は ぶらさがり機に 10秒とは 掴まって 居られない程 握力と筋力とが弱った。 なのに この前腕は 命に 執着し 生から 振り落とされないようにと 必死に この世に 掴まっている。 あわれとも 言うべきか。
Posted by 無陀仏 at 16:00│Comments(0)
│日記 エッセイ