2010年01月23日
哀歌 真白き富士の根
100年前の 明治23年(1910年)の 1月23日(日曜日)の 午後1時30分頃は 逗子開成中学校(当時)の 生徒12人が 死亡した日だ。
当日は 波が荒く 9時30分の出発は 見合わせるよう 消防からの注意はあったが これを無視して ボートを漕ぎだし 七里ヶ浜沖で 全員遭難した。
同年2月26日に 逗子開成中学校での追悼式で 鎮魂歌として 同系列の鎌倉女学校の生徒によって 唄われたのが この歌だ。 歌詞は 鎌倉女学校の先生であった人が 作ったものだが 曲は 外国人が作曲したものと 相当部分が似ているので 窃用したと言われても 弁解が出来ないようだ。
今の歌詞名は「真白き富士の根(嶺)」となっているが 大正5年(1916年)に 歌詞と曲とが発表された時の題名は「哀歌(真白き富士の根)」と 言っていたそうだ。
ところで スノーパウダーで有名な 北海道のニセコ地区でも 冬期間に 表層雪崩が偶発し これに巻きこまれて 死亡する人がおられる。 原因は 立入り禁止を無視して プレーしたため と 聞く。
好奇心に背をおされ 冒険をするのも良いが 経験則と言う 自制を踏まえたうえでの 慎重な行動が 他人に迷惑をかけないで レジャーを楽しむ 唯一の 方法のようだ。
Posted by 無陀仏 at 16:00│Comments(0)
│日記 エッセイ