2007年04月03日
衣装人形

人形は、人々の畏敬や信仰の対象として、子供たちの遊び相手として、美しさを愛でるものとして、愛されてきた。
年をとると、愛でる人形より、信仰としての人形に、縋るようになってしまうようだ。
Posted by 無陀仏 at 14:33│Comments(1)
│趣味・エンタメ
この記事へのコメント
おきな草様
ある人形作家が「人形を作っている間に念をこめてしまうから、納品前には必ず一度引導を渡すのです」と言っていました。『引導』とは、おだやかではありませんが、彼なりの比喩なのでしょう。
永く愛でられた人形は、愛でてきた人の想いや心が吹き込まれてゆくのだろうと思うことがあります。茶器や食器もそんなところがありますが(九十九神など)、人形は、はなからヒトガタ・・・雛・・・ですから、想いの重なり方も人によく響くのだろう・・・と、そんなことをつらつらと思ってしまった今宵です。
人形の表情や雰囲気は、愛でた人の心の鏡なのかも知れませんね。
冬野
ある人形作家が「人形を作っている間に念をこめてしまうから、納品前には必ず一度引導を渡すのです」と言っていました。『引導』とは、おだやかではありませんが、彼なりの比喩なのでしょう。
永く愛でられた人形は、愛でてきた人の想いや心が吹き込まれてゆくのだろうと思うことがあります。茶器や食器もそんなところがありますが(九十九神など)、人形は、はなからヒトガタ・・・雛・・・ですから、想いの重なり方も人によく響くのだろう・・・と、そんなことをつらつらと思ってしまった今宵です。
人形の表情や雰囲気は、愛でた人の心の鏡なのかも知れませんね。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年04月04日 02:08